猪肉専門店丹波篠山おゝみや
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「ぼたん鍋」の歴史

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ぼたん鍋の起源

猪肉を始めとする獣肉の食用摂取については、古代の遺跡・遺構等から獣の骨が出土する事や文献等よって、古くから食されていた事が確認されています。

古来の日本では仏教の伝来以降[肉食の禁忌]とされていましたが、地方の里山等では貴重なたんぱく源として食されていたようです。

[肉食の禁忌]が解かれた江戸時代の後期には、郊外で捕獲された獣肉が利根川を利用して江戸へ運ばれ食されていた様で、今も東京両国で営業をされる『ももんじや』は 当時の〔ももんじ屋=百獣屋〕からの屋号の様です。

このお店で提供されるのは「猪鍋」で、「すき焼き」の様に割り下で煮込んで食べます。

明治に入ると「牛鍋」が大衆にも浸透し肉食の文化も浸透していきます。

明治末期ごろには、篠山に駐屯する「歩兵第70連隊」が銃の訓練の際に捕獲した”猪”を味噌汁の具材として配給を始めます。

それを聞きつけた街の料理屋が軍の将校向けに鍋料理としたのが「いの鍋」として根付いたと言われています。

これらが、【 ぼたん鍋 】の起源と言われています。

「山くじら」と名を変えて

右の浮世絵は歌川広重の「 名所江戸百景 」より「 びくにはし雪中 」を描いた浮世絵です。現在の東京 有楽町京橋の下を流れる京橋川に掛っていたと言われています。


この絵の手前左側に「 山くじら 」と書かれた看板が、雪景色の中に描かれています。「 山くじら 」とは猪の肉のことです。


今とは違って庶民の味として猪肉は親しまれていた様ですが、この時代は獣肉食が禁止されていたので鯨の一種と言い換えて食されていた様です。

また、向かいには「 〇やき十三里 」と書かれた看板があります。栗(九里)より(四里)美味しいさつま芋を丸焼きにして売っていたので「 十三里 」と洒落た店名をつけていたと言われています。今でいう[ 焼き芋屋 ]です。

名の由来

猪肉を皿に盛りつけた様が、牡丹の花に似ているからその名がついたと言われるのが一般的ですが、実際には後付けの様です。

昭和の初めころ、現在の篠山商工会の前身「篠山実業協会」が新たな民謡として「篠山小唄」を作ろうとその歌詞を公募しました。

当時、篠山新聞の編集者だった斎藤子効氏の歌詞が採用されるのですが、 その歌詞の中で、初めて「ぼたん鍋」と言う言葉が登場します。

斎藤氏のお話では、当時篠山で食べられていた「いの鍋」を歌詞に入れようと考えたそうですが、七五調の歌詞には語呂が悪く非常に悩んだそうです。

思いついたのが[唐獅子牡丹]、“しし”と“ぼたん”の語呂合わせで[ぼたん鍋]となったそうです。

その後に、篠山の老舗料理店の店主が[ぼたん鍋]の提供を始めるのですが、今の様に大皿に美しい[牡丹の華]が咲いていたそうです。